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『みえるとか みえないとか』発売記念対談③

7月11日に発売になりました『みえるとかみえないとか』は、
『伊藤亜紗さんが光文社から2015年に出版した
『『目の見えない人は世界をどう見ているのか』をきっかけに、
『ヨシタケシンスケさんが伊藤さんに「そうだん」しながらつくった絵本です。

第一回「新書と絵本 それぞれのアプローチ」はこちら
第二回「子どもの「面白そう!」にどう言葉を返すか」はこちらをごらんください。
第三回では、「へー」の奥深さが語られます。「へー」って、すごい!

伊藤亜紗 1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。
専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。
著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)、『どもる体』(医学書院)など。1児の母。趣味はテープ起こしと燻製。

ヨシタケシンスケ 1973年神奈川県生まれ。
筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。
『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞、『りゆうがあります』(PHP研究所)で第8回MOE絵本屋さん大賞第1位を受賞。『もうぬげない』(ブロンズ新社)で第9回MOE絵本屋さん大賞第1位、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞を受賞。『このあとどうしちゃおう』(ブロンズ新社)で第51回新風賞を受賞。その他、著書多数。2児の父。趣味は読まない本を買うこと。

 

絵本を読んだ子どもに「信頼」されること


伊藤亜紗(以下、伊藤): 私、絵本って、子どものころあんまり好きじゃなかったんです。
啓蒙的な感じがしたというか、「正解を示していないんだよ」という雰囲気を出しながらも、結局正解を出してくる感じが、ずるいなって思って。
そういう先生っぽい感じがすごく苦手で、「新書を絵本にしたい」という依頼があったときに、啓蒙的になるのだけは嫌だという話をしたんですよね。

ヨシタケシンスケ(以下、ヨシタケ):それは僕もそうですね。初めて絵本を描かせて頂いたときに思ったのは、自分が好きだった絵本の要素を全部入れたいし、自分が苦手だった絵本の要素は絶対入れたくない、ということ。
子どもは楽しもうと思って絵本を手に取るので、啓蒙するような雰囲気は敏感に察知して、最初の2.3ページで「あ、これはもうだめなやつだ」って気づくんです。

ヨシタケ: 僕もそういう子どもだったからこそ、途中で「あっ」って思われたくないんですよね。
作る以上は最後まで読みたいって思ってもらいたいし、最後まで読んであげてもいいなって思ってもらえるような仕掛けは入れたいと思っています。
どんなに大事なことを言っても、読んでくれなかったら何も伝わらないので、「ここから大事ですよ! テストに出ますよ」というような雰囲気をどうすれば消せるのかということは、特に今回の絵本では大きなテーマです。


伊藤:でも、こちらがいくら啓蒙しようと思っても、子どもはスルーしているんですよね。作り手や大人が重視していなかった細部にこだわったり、そこから妄想をひろげたりして、ある意味勝手に読むと思います。この本も、途中の原稿を、当時小学校二年生だった息子に「読んでみて」と渡したら、「マクラがないとねむれないひと」というところを読んで、ヨシタケさんの『ぼくのニセモノをつくるには』(ブロンズ新社)と、キャラ設定がずれている…と、すごく細かいところを気にしていました(笑)


ヨシタケ: そうそう、途中のラフでは、ほかの絵本と主人公の髪型がおんなじだったんですよね。だからキャラ設定がちがうってご指摘を頂いて(笑)


伊藤: すごーい言いにくそうに、「面白かったんだけど、一個だけ、ものすごい残念なところがあって…、言っていいかなあ…」みたいな(笑)


ヨシタケ: すごい気を使って頂いちゃって(笑) そして、僕自身も覚えていなかったところをちゃんと覚えてくれていて。
これですね。「マクラをつかわずにねる」っていうのが主人公の属性になっていたんですけど、『みえるとか みえないとか』の主人公は「マクラがないとねられないひと」となっていて。
それはちがうだろって、クレームが一読者からきたんです。いやーこわい(笑)!

伊藤:(笑)
でも、きっとそこが、信用に関わるところなんですよね。


ヨシタケ:そうなんですよ。そこがぶれていたら、そこから先の話を聞いてくれなくなってしまう。言って頂いて助かりました。だから急遽、髪型を変えました(笑) 本当にどこを見ているか、わからないんですよね。

「へー」って、すごい!

 


伊藤: 大きくなってから、子どもの頃に「あ、すごい」って興味を持ったことが否定されずに残っていることって大事ですよね。
それがないと、正解は一つしかないって思いはじめてしまう。この本にもありますが、「わー!すごい!」とか「へー!」という感覚って、面白いだけで役に立たないことですよね(笑)でも、そういうものが中に積み重なっていくことが、却って大切なんだろうと思うんです。 大人になると、「これは何の役に立つんだろう?」「こういうことを言っていいんだろうか?」と、ひとつひとつに正当な理由を求めてしまうようになる。
だから、純粋な興味だったり、「へー」でしかないことが肯定されること、「すぐ答えはでないかもしれないけれど、その疑問はとりあえず持っておきな」と言ってもらう経験って大事だなあと思っています。


ヨシタケ: 「新しい価値観を知りましょう」ということではなく、「へー」って言えることの喜びですよね。
「面白くない?」っていう以上でも以下でもないところに価値がある。


伊藤: 「へー」って、名言ですよね(笑)!


ヨシタケ: この絵本の中では「へー」とか「えー」とか「わー」とかしか言ってないですよね(笑) でも、「へー」「いいよねー」って理由なく言う、その部分においては、だれとでも絶対共有できるはずなんですよ。


伊藤: そうですよね。


ヨシタケ: 性格とか主義、宗教関係なく、「あれびっくりしたよねー」っていうことだけでつながりあえるのは、「へー」っていう驚きに価値がないからこそなんですよね。

ヨシタケ:僕が伊藤先生の本のなかで、絵本に抽出したいし、しなきゃいけないと思ったことのひとつが、「面白がる」という言葉です。「相手を思いやる」ではなくって、単純に、「あ、そっちはそうなってるんだー。面白ーい!」というノリの部分を伝えること。ただ難しいのは、子どもにとって面白がるっていうことが、馬鹿にしたり茶化したりっていうこととのグレーゾーンにあること。それも絵本を作っている中で気づいたことです。絵本の最後のところに、「同じところをさがしながら、違うところをおたがいに面白がればいいんだね」という文章があります。最初は、ここに「おたがいに」という言葉を入れていませんでした。 大人向きの本であれば、そのままでいいんです。でも、子どもに「ちがうところを面白がればいいんだよ」だと、誤解を受けてしまいかねない。

伊藤: たしかに、合意の部分ですよね。子どもが読むときに、考えなくてはいけない要素が変わってくるんですね。


ヨシタケ: 自分がされて嫌だったことは、人にはしない方がいいよっていうことですよね(笑)面白けりゃいいってもんじゃない、でも面白がらないわけにはいかない。
その線引きの難しさが、「おたがいに面白がる」ということの奥の深さであり、難しさだと感じました。
上から目線が出てしまった瞬間に、もう楽しんで読んでくれないだろうし…。


伊藤: お話を聞けば聞くほど、研究書を書くのとまったく違って、気づかなかった細かいような工夫だったり、ちょっとした言い回しだったりを調整されているんだなということを伺って、なんか感動しました(笑)


ヨシタケ:(笑)
僕自身が疑り深い子どもだったので、小さい頃、人一倍そういうことが気になったんですね。

伊藤: 今の子どもたちって、死ぬまでに地球じゃない星に行く可能性もありますよね。人類が宇宙に行くと、障害の概念がすごく変わるだろうな、って前から思っているんです。昔の天動説みたいに、「自分が中心じゃなかった、がーん!」というようなことが、宇宙に行けば行くほど起こりうる。そうなったとき、私たちの思っていた「ふつう」はなくなるし、障害の概念も関連して変わっていくんじゃないかと思います。

 

(次回に続く)

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